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コラム

株式会社メインカラー 印刷課長 玉鉾勉

vol. 3 印刷課長インタビュー

玉鉾 勉 1979年(昭和54年)入社
スキャナ → DTP → 印刷・業務管理システム構築

今回は、長年いろいろなシステムの立ち上げに関わってこられた事についてお聞きしたいと思います
「入社した時はスキャナの部署にいました。
現在の野江に移る前で鴫野(しぎの)に工場があって、イギリス製のマグナスキャン510(クロスフィールド社)を担当しました。
あと、僕が入ったときは国産のスキャナSG-701(大日本スクリーン)というのが1階のフロアーに置いてあって、各個室で色分解してフィルムに焼いてたから、フィルムを替えるのに暗室にしないといけなかった。
冷暖房完備で、博士か医者のように白衣着て仕事していました。
カラーフィルムからの色分解は一人で身体で覚えていかないといけなかったです。
機械の操作も…。
マグナの時は、最初は『東京へ研修に行かせる』と言われてたけど、結局自分でやっていたら『できるやんか』って言われて。
『もうほんなら行かんでええな』って事になって、東京に行きそびれました(笑)。
しばらくしたらSG701の担当になって、そのとき初めてスキャナの勉強をしました。
大日本スクリーンに2週間行って毎日ちょっとずつ基本から教えてもらって。
それが本格的にスキャナーをやった最初です。
マグナの時は先輩から操作を教えてもらいました。
その後SG-888、SG-818とかSG-608とかちょっとコンパクトになったスキャナを何台か担当しました。」
じゃあずっとスキャナをやっておられたんですね
「本社がこちらに移転してスキャナも全部持って来たんだけど、今度は鴫野の工場に “性能がいい” という事でデカいのが入りました。
ドイツ製のCP341(ヘル社)。2階のデカい部屋で作業してました。」
じゃあ、鴫野と本社、両方で作業していたんですか
「本社へは行かずに、鴫野でやってました。
あ、でも行ったり来たりしてたかな。
本社にはSG-888とSG-608を持って来てて、鴫野にはCP341があって、その横でレタッチも一つの部門でやってたからね。
本社勤務になったときには、2階に大カメラというのがあって、で、部屋が…そう要は部屋がカメラなんです。
でっかいレンズで、蛇腹がガーッて動くような感じで、写植を貼った版下を撮ってたから。
その部屋の中でフィルム交換とかしてました。
僕は隣の部屋でSG-888担当でした。
その後に、コンピューター化の幕開けというのか、シグマ6000というのを大日本スクリーンが出したんです。
レイアウトスキャナーってその時は呼ばれてたんだけど、イギリスやドイツの機械が出始めてて、日本では大日本スクリーン。
うちはそのシグマ6000を導入しました。
それが今の下の応接室のところに1台だけドーンとあって。
真ん中にワークステーションがあって、モニターが2つくらい付いていて、ディジタイザーが付いて、なんせ、えらく大層でした。」
株式会社メインカラー 印刷課長 玉鉾勉
宇宙船のコックピットみたいな?
「そんな感じで。モニターが複数あって、机に囲まれて、その奥にコンピュータの本体があって。
それ専門の部屋で、パーテーションで仕切ってそれだけの為に冷房して。
その中にあったコンピューターと、あと、ハードディスクなんかは小型の洗濯機か冷蔵庫ぐらいの大きさで、それが4つあってカリカリ回ってたんだけど、今思ったらめちゃくちゃ容量少なかった。
全部で400MBくらいしかなかったです。」
え?コックピットで400MBだったんですか?
「はい。それで、バックアップするのに、昔のSF映画に出て来るような、でっかいオープンリールが付いてました。
あとはフロッピーディスクと。
スキャナーの機械が横に置いてあって、そこで取り込んだデータを読み込んで、レイアウト、集版して。
写真も一応合成できるんですよ、切り抜きして。
でもスタート押したら文字ばっかり流れて、複雑な処理やったらいつ終わるかもわからないし(笑)」
それは出力するまで仕上がりがわからないんですか?
「演算が終わったらモニターでは確認はできるんだけど、そこに行くまでが…。
これは時間かかり過ぎるなあと思って、飯食べに行って風呂入って戻って来ても終わってなくて。
2時間くらい…」
どの程度の合成なんですか?
「A3ぐらいのサイズで、何点か写真合成して… 今のPhotoshopだったら考えられない。
そんな時代でした。
そして、その機械が入った時に初めてスキャナーに女性の社員が入って来て、職場が明るくなりました。
それまではスキャナーといったら男ばっかりでした。
そのシグマ6000の後にSPX2800というのを2階に買いました。
平行処理して大量に作業しようという… それまでは一つのワークステーションだったから生産性が低いし、だから費用が高くなってしまうし。」
レイアウトスキャナーというものがあったんですね
「アナログから、その後に機械を使うカドグラフっていうのもあって、それもSPXにくっ付いていたので。
マスク切って、データもSPXにもらえて、それに対して写真貼ったりなんだかんだ…。
そういうのを複数のテーブルでキーボードだけでやってました。
スキャナー(SG-747)をやりながらそっちも覚えて、みんなと…。
一人ではできなかったですね。
何人か、グループでやるような作業になっていきました。
そのあとレナトスが出て来ました。」
そこでレナトスですか。Macより前なんですね
「Macと同時にレナトスが入りました。
ちょうどDTPが始まった頃で、デスクトップパブリッシングと言われて、卓上で出版物が出来るようになりました。
その立ち上げがMacintosh。
その当時のMacintoshはものすごく遅くて、一番最初に来たのはLCの…品番は忘れたけどLCなんとかいうやつで、それにイラストレーターとかが入ってて。
レナトスで合成したり、Macのデータをレナトスで変換したりして、そこから完全に平アミ、文字、写真が合体したフィルムが出せるようになりました。」
それまでは別々の作業だったんですね
「それまでは別々で、最後にレタッチで文字と写真を合体していました… 手作業で。
文字と写真の合成はSPXでも出来たけど、ものすごい時間が掛かる。
でもレタッチで小さい写真を何点も貼るのに、全部CMYK4枚ずつフィルムに貼っていかないといけないのを(写真点数×4枚)、SPXで合成して1枚にすれば4回貼るだけでいいから(1点×4枚)、レタッチがだいぶ楽になる。
だからレタッチで困ってるものはSPXで作業して、合体するのはレタッチの方が早いのでレタッチでやって。
使い分けてやっていました。
それがレナトスになってから、レナトスひとつで出来るようになりました。
最初は遅かったけど。
一方で、レナトスのスピードが遅いので、ADというMacの出力のRIPを買って、ADという部署ができました。
なんでも出来るのはレナトスなんだけど、ただ簡単に出すだけだったら絶対Macの方が早いので。
それでレナトスの部署とADの部署と2ラインでやってました。
あと、画像修正はハリウッド映画の画像編集で使うような、ものすごく高いレナクリエイターという機械をレナトスと一緒に入れていました。」
Photoshopはまだなかったんですか?
「あったけどまだ出始めだったんで、レナクリエイターの方が良かった。
けど、バイナリの実画でそのまま処理するような機械だったから、ものすごく時間がかかりました。
画像を拡大するだけでも結構かかった…、当時のイーサネットなんかものすごく遅いから。
で、Macの性能が上がって、Photoshopで何でも出来るようになって、最初は平行して使ってましたが、段々とレナクリエイターは使わなくなったかな。」
じゃ、イラレとPhotoshopと
「Quarkが入ってDTPの3つの神器とか言われて、そこから格段に良くなっていった。
イラストレーターの5.5くらいからバンバンいけるようになって、Photoshopも4.0くらいからかな。
Macの進歩もものすごく早くなってきて、G3やG4が出て来て。
でも、そこからまたつまずくことがあって…。
MacがOSXになった時にしばらくはレナトスが対応していなかったから。
ADはすぐ対応したけど、レナトスは急に遅くなって。
何でも出来るけど作業がすごく遅くなってしまいました。」
玉鉾課長がDTPにおられたのはどの辺りまででしたか
「OSXはもう入ってました。TrueFlowもやってて。」
あ、TrueFlowの立ち上げも
「ADとレナトスを足したのがTrueFlowみたいな感じで、その移行にはそんなに戸惑いはなかったかな。
より便利になって、みんなが同時に使えるようになって。
レナトスの時は一人が1台の前に座ってたら、その1台で切り抜きでも何でもやるから、別の作業をしたい人がいたら、席を空けてもらわないといけませんでした。」
スキャナーの作業からPhotoshop、DTPと移って来られる中で、色をずっと見て来られたわけですが、カラーマネージメントシステムというのはどの辺りから始まったんですか
「デジコン…スピードプルーフ辺りからかな。
まあその時はメーカー側と一緒になってやって、色を合わせてもらって終わりでしたが。
で、その内にフィルムからCTPになったのかな。
これも大阪で一番に会長のひと声で導入しました。」
玉鉾課長はシステムの立ち上げの仕事がすごく多いですよね
「WindowsDTPなんかもいろいろあったけど、レナトスにしろ、そういう新しい機械が入った時に誰も聞く人がいない。
今みたいにインターネットで調べることもできないから、メーカーに聞いたり、試行錯誤でいろいろ試したりして。
例えばレナトスの演算でエラーが出たら、イラレの部品を外してみたり画像化してみたり、自己流で考えてやっていました。」
原因究明が大変だったんですね
「ひどいのは、“点” に何かの “線” の設定がされていたらレナトスが弾いてしまって、それを見つけるまでにすごい時間がかかったり。
WindowsでDTPができるようになった時も、データをバラバラにして試してみたり…。
大日本スクリーンにAvanasを見に行った時に『イラレのデータに変換できるのがええわ!』って事で会社に買ってもらって、それからはすごく楽になりました。
もう今はあんまり使ってないかもしれんけど。
今はWindowsからでも、PDFを作れば結構そのままいけるようになりました。
だからPS(ポストスクリプト)からPDFという風に、DTPの流れも、行き来するデータも変わって、よりいろんな情報が入ってやりやすくなった。
通信も、今はサーバールームがあるけど、もとはイーサネットのテン(10Mbps)くらいで、普通のハブで繋がっててめちゃくちゃ遅かったんです。
それが100メガ(100Mbps)になって、ギガになって。
今はいろいろなデータを当たり前のようにサーバーでやり取りしてるけど、昔はISDNで、電話回線で8回線くらい…1回線で2本使えるから、4セットくらい買って。
他県の仕事で、うちでCTP出して印刷会社で刷るというような、そのやりとりを通信でやろうとしたときなんか、それはもう!むちゃくちゃ遅かった。
一晩中かかってました。
Mac同士を電話回線(ISDN)で繋いで。」
時間もお金もかかりますね
「最初の方はそれだけじゃ不安だから、CDにデータ焼いて赤帽とかで夜走ってもらって。
赤帽の方が早かった時もあるし。
そのときはインターネットもなかったし、パソコン通信とかいうのはあったけど。
時代の進歩がすごいですね。」
進歩が加速して、前がどうだったとかなかなか思い出せないですね
「手作業でやってた時代の方がのんびりして良かったかもしれんなぁ。
機械化されて早くできるようになったけど…。」
機械を使って便利にはなったけど、その機械コストを料金にドンと上乗せすることもできませんしね
「だから利益率は昔の手作業の時の方が高かったのかもしれません。
スキャナではフィルムをCMYK1枚ずつ露光してたから、午前中にB2ポスターをひとつっていう時代もありました。
フィルムをフィルムシリンダーに巻いて光を当ててスキャナーがCMYK何%って出すんだけど、その%の割合を見て仕上がりを頭に入れてツマミで調整して。」
仕上がらないと実際の色は確認できないんですよね
「だからよく平台校正を見に行きました。
アミの状態と機械上の数値と平台校正で上がった色との連携を頭の中で自分なりに掴んで…。
そんな感じでした。」
そして、DTPから印刷の立ち上げ
「そうですね。印刷は一番苦労しました。
コンピューターが付いてる印刷機って事で、機械に詳しいところを見込まれて印刷に行かされたのかわからないけど、コンピューターの占める割合なんてちょっとしかない。
覚えないといけない事はほとんどが印刷機本体の事で、ものすごいアナログの世界でした。」
じゃあコンピューター使えると言っても…
「意味なかったです。
印刷の事を身体で覚えていって、トラブルがあったらどうしたら直るかというのを潰していかないとダメで。
その時はわからないからメーカーに電話して聞いたりしてやってたけど。
印刷が回るようになったのは、僕が立ち上げたというよりも、印刷職人のTさんが来てくれてから。
ボクらが悩むような事はとっくに経験しているから『ここや!』ってすぐわかるし。
校正はコンピューターで色を合わせるからまだそこそこだけど、本刷とか他のものに関しては、立ち上げたのはTさんですね。
彼がいなかったら今の印刷はないと思う。
僕もわからん事は教えてもらう…教えてもらうっていうよりも見て覚えろっていう感じです。
聞いたら教えてはくれるけど、身体で覚えていった感じかな。
それまでもずっと身体で覚えていくような感じで、人に教えてもらったというのがあんまりないような気がします。
今までスキャナーとかDTPとかずっとやってきて、常にトラブルがあって、それを “何とか上手いこと解決できた” というのが、ただただ仕事のやり甲斐みたいな感じだったのを覚えています。
レタッチは手作業こそやってないけど、データの最初から印刷までは全部やったなぁと思って。
ひととおり網羅したなぁと(笑)
メインカラーは時々会長が、業界で『次はこれや!』っていう新しい設備をポーン!ポーン!ポーン!って入れるから…、使いこなすのはボクらやけどね。」
玉鉾課長が検証して
「自分だけの力ではないです。
MacだとAさんとかMacに詳しい人がいたし、K君みたいに真面目な子がいたから。
ぼく一人ではなんも出来ないし。」
じゃあその時々で協力をしてくれる…
「その時々で頼りになる人がいました。
O君なんかは入って来た時はほんとに切り抜きばっかりやってて。
席が空いてなかったからレナトスの切り抜きばっかり。
来る日も来る日も切り抜きやってましたね。
でも他の人よりたくさんやるし、早いし、黙々となんでもやってた。
WindowsDTPの時も、二人での引き継ぎが多くて、よくややこしい仕事をやってました。
レナトスから彼は始まったんだけど、OSXだったり、TrueFlowが入って来た時でも、なにか問題あった時は、たいがい僕ひとりじゃなくて二人で対処していました。
というか、昼勤と夜勤だったから二人同時にではないけど、昼と夜交代でトラブったやつとか難しい仕事とか、引き継ぎ引き継ぎで常に一緒にやってきたから。
彼がいるからDTPも上手いこと行くようになったんじゃないかな。
僕だけでは絶対できなかった。
だから何やかんや立ち上げた言われるのはちょっと恥ずかしくて、たまたまそういうとこにポッポッポと行かされて、そこに誰かがいて、一緒に立ち上げのいろんな困難を乗り越えていったんじゃないかな。
最初のシグマ6000はB君、次のSPXはK君がいたし、レナトスはO君とK君がいてて、ADの時はHさんていう人がいて、TrueFlowはO君がいて、印刷はTさんがいて。
だから常にブレーンというか、仲間がいました。
近くにいる人に恵まれて今までやってこれた。
自分ひとりでは何もできないです。」
何もなんて事はないと思いますが、新しい事を吸収して前に進めていくという役割があったのでは
「で、今一番頭痛いのは印刷総合管理システム “ひだりうちわ”。
いろいろ要求はあるんだけど、みんなにやってもらわないといけない事もあるし、今は若い時と比べてバイタリティーみたいなものが欠如してきてるというか、そういう反省もしつつ…(笑)」
これまでの立ち上げ作業とは雰囲気が違いますね。事務的というか
「そう。地味で、大勢の営業に協力してもらわないとできないですし。」
今回はパートナーもいなくて、ちょっと孤独かもしれないですね
「難しいことが山積みですが、メインカラーから課せられた最後の仕事かな~と思って。」
じゃあ今は印刷と “ひだりうちわ” を平行してやってらっしゃるんですか
「そう。まあ印刷の方が忙しかったら印刷ばっかりになるけど。
同じ重きでやってますね。」
職人技を覚えつつ “ひだりうちわ” も…
「印刷は印刷で特色インクを作るのに目分量でインク混ぜたり。」
数ある立ち上げの中で、どの立ち上げがおもしろかったですか
「シグマ6000がワケわからんかったなあ。
インパクトがあった。」
私もこれまでのお話を聞いていて、コックピットが一番インパクトがありました
「あの応接室の広い部屋、丸々そうやったもん。」
職人さんの世界からいきなりSFに
「そう。SFの世界に飛び込んだみたいな感じ。」
席は一人だったんですか?
「そう。でもそのインパクトがあったせいで、比較して『Macなんて』って思ってました。
小さいし容量も少ないし処理も遅いしって。
でもその後のMacの進化のスピードがすごかったから、あれが一番の驚きかもしれないです。」
私が入社した時、玉鉾課長の印象は、Macに詳しい人という感じでした
「Macも新しいのをどんどん買って増設していって、誰のMacというのも決まっていなかったから、みんな新しい使いやすいのを使うでしょ。
で、いつも空いてる古いMacがあって、聞いたら『壊れてるんです』って。
それなら修理しないとダメでしょ。
それでいろいろ調べながら復旧させて。
そんなことやっていくうちに、だんだんと詳しくなっていったかな。」
そういうのは楽しいですね
「はい。OSがどんどん上がっていくのも見てたし。」
そういう劇的な変化を見てこられたのは貴重だと思います。
印刷が一番変わった時代ですよね
「企画から印刷まで自社内でできるようになったからね。」
一本の道が通りました
「自分も携わったけど、その都度機械を入れた時に仲間がいたからできました。
それが一番。
機械が良くても使う人がいなかったら、機械が活きてきませんから。
だから “いるべき人がいた” という事がメインカラーの財産じゃないかな。
だからこれからは今の中堅が中心になって、次は若い子がそれを見て育っていったら。
で、それプラス、やろうとする事に対して別の見方ができる、知識のある異端児なんかが外から来たら(笑)
会社もまた別の方向に伸びていけそうな気がしますね。」
おもしろいお話をありがとうございました
「ほんと、飯食って風呂入って帰ってきてもまだ終わってなくて…」
すごい時代の変化です。ほんとに
株式会社メインカラー 印刷課長 玉鉾勉

(2017年6月)

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